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(平成22年7月15日「無心になって遊ぶ」) 「現実の社会生活の場で子どもは生きているのだが、子どもが無心になって遊ぶ とき、そのただなかに子どもの世界が開かれる。それは人間の精神の芽生える土壌 といってもよいのではないかと私は考える。」(「子どもの世界をどうみるか 行 為とその意味」津守 真著(日本放送出版協会 NHKブックス526 )) 子どもさんと会話を交わすときに、話を聞いてあげているつもりでいたり、遊ば せてあげているつもりでいたのが、なんだか様子が違ってきて、こちらが話を聞い てもらっていたり、遊んでもらっていたのではないだろうか。そんな風に感じるこ とがあります。無心になって遊ぶ子どものそばにいたり、その姿を見ることができ る時間は、楽しさが伝わってきて、嬉しく感じるのだろうと、そう思います。 「日本の子どもたちは幸福そうで、親たちは子どもをだいじに育てているという ことを、幕末から明治にかけて日本を訪れた何人もの外国人が記している。私も、 外国をめぐってみて、日本には子育ての文化があるように思う。」(同上) |